淡路島の企業経営者の〈現在地〉を見つめる特集『いまを紡ぐ』。
今回ご登場いただくのは、洲本市で「金型」の製作を手がける株式会社石田金型製作所の代表・石田幸次朗さん(いしだ・こうじろう、47歳)です。
金型と聞いても、日常生活の中ですぐにイメージが湧く人は多くないかもしれません。けれど、その仕事は、私たちの身の回りにある数えきれないほどの製品を支える、ものづくりの“はじまり”のような存在です。
石田さんは話してみると、淡々とした中にも親しみやすいフランクさがあり、こちらの話にも親身になって耳を傾けてくれる人。そして何より印象的なのは、どんな時でもその場を「面白がろう」とする姿勢です。
島外出身でありながら、淡路島の会社を引っ張ること。
島に移って経営者として歩んできた道のり。
そして「これから会社をどう育てていくか」という問い。
いつも通り淡々と話す言葉の奥には、確かな熱がありました。

Profile 石田幸次朗(いしだ・こうじろう)
1978年、愛知県生まれ、石川県金沢市育ち。高専卒業後、豊橋技術科学大学に編入し、生産システム工学を学ぶ。大学院修了後、ITサービス会社に就職し、大手自動車会社で生産技術の業務に携わる。その後、妻の実家である淡路島の石田金型製作所に入り、現在は代表として会社を率いる。プラスチック製品の金型製作を中心に、新商品開発の設計支援などにも取り組む。
◼️製造業に求められるハードルの高さを、超えていく。
「うちは、まず金型屋さんなんですよね」
石田さんはそう言って、工場やオフィスにある製品や機械を見せてくれた。
石田金型製作所が手がけているのは、主にプラスチック製品の量産に使う金型の製作。樹脂部品を大量に作るための“型”を、鉄を削って作っていく仕事だ。
ただ、その仕事の成り立ちは、意外なほど不安定でもある。
「企業さんが新しい製品を作るときとか、数をたくさん作るときに金型が必要になるんですけど、それだと、どうしても完全受注業になるんですよね」
つまり、待つしかない、ということ。
職人仕事なだけあって、かつては単価が今よりも高く、「1か月仕事したら1か月遊べるぐらい」の相場だったという。だが現在は自動化が進んで価格競争も激しい上に、より高い精度を求められる。
「日本って、ほんの少しのズレもダメなんです。製造業に求めるハードルが、かなり高い。でも逆に、値段は下げてほしいって言うから、困ってしまう(笑)」
そんな中だからこそ石田さんが力を入れてきたのが、仕事が来るのをただ待つのではなく、積極的に働きかけて顧客の「設計段階から関わる」ことだ。
もともとは図面が来て、それをもとに金型を起こして作るのが一般的な流れ。
けれど、それでは待ちの姿勢は変えられないし、仕事量の波もならせない。そこで「ものづくりをサポートする」というコンセプトで、顧客企業の製造過程におけるより〈上流〉から関わるようになった。
「自ら動いて、いかに仕事をつくるか。そんなことを考えながら、今やってるって感じかな」
製造業と言っても、石田金型製作所はただモノを造っているだけではない。
仕事そのものを、生み出しているのだ。

◼️父の最期と、〈社長業〉への思い
石田さんは4歳まで母方の実家がある愛知県津島市で過ごし、石川県金沢市へ移った。幼い頃、当時にしては珍しく家にパソコンがあり、情報処理などにも親しむ中で、中学1年時には進学先を高等専門学校に決めていた。
先に進学していた6つ上の兄の影響に加え、小学生の頃から「機動戦士ガンダム」シリーズにどハマりしたのも理由の一つだった。
「今の夢も、ガンダムに乗ること。それを叶えるために、日々頑張ってます」
高専では電機系を中心に学び、プログラミングを行う部活動でホームページやインターネット掲示板の作成に熱中した。ガンダム好きなのもあって、将来は制御系の道へ進みたいと思い始めていた。
そんな中、人生に大きな影響を及ぼす出来事が起こった。
高専5年の春、父が失踪したのだ。
父は親族が経営する会社で営業責任者を務めていた。バブル経済が崩壊して会社の業績が悪化していく責任を必要以上に重く感じていたようで、少しずつ追い込まれていた。
「昔から家計が厳しくて、借金の話や家を売るっていう話もあった。父親がいなくなった時は、高専を出たら大学は諦めて就職しようと考えた」と言う。
それでも石田さんの熱意や夢を知る母や兄に説得されて、大学編入を決意。無事に合格し入学を目前に控えた頃、父が遺体で見つかった。自ら命を絶ったようだった。
「父親が、仕事の責任を取るような形で身を投げたことに対して、『なんでや』っていうのがすごく引っかかってたんです。『社長の役割ってなんやねん』と。
そこから、じゃあいつか自分でやってみたらわかるんじゃないか、と思うようになった」
いつかは独立して〈社長業〉に。
そんな思いが芽生え始めた。

◼️ 婿入りから始まった、会社を変える挑戦。
その後、高専から豊橋技術科学大学(愛知県)に編入し、生産システム工学を学んだ。
大学3年の頃、現在の妻と出会った。学生結婚も考えるほど真剣に付き合っていく中で、淡路島出身で石田金型製作所の長女である彼女の「実家の家業を継ぎたい」という思いにふれ、自然と「婿に入って、淡路島で彼女と一緒に会社を切り盛りしていきたい」と考えるようになった。
「もともとは社長は彼女がやるかなと思っていたから、僕も関心があった〈社長業〉に近しい経営者っぽい仕事ができると思って。
結婚は、彼女はお金のかからない女性だったからいいなって思ってたんです(笑)」と冗談混じりに話す。
大学院を出た後、金型屋になる将来を見据えて手に職をつけるために大阪のITサービス会社に就職。大手自動車会社の現場へ出向し、生産技術の業務に携わった。
3年半ほど働いて、結婚して28歳で淡路へ。石田金型に転職して金型の仕組みや現場で活用されている技術などについて学び、7年後、社長に就いた。
「早いな、という感覚はあったけど、もともと経営に関わるつもりできていたので、やるしかないなと。その中でも、先代とは違うことをしたい、しないといけないという思いもあった」
それが、顧客のアイデアを形にする段階から関わって、自ら仕事を生み出していく〈仕組みづくり〉だった。
いい仕事をしていれば、自然と仕事はやってくる──
というかつてのあり方とは、いわば真逆。当初は社内でも困惑の色もあったが、12年という時間を経て、仕組みの重要性は「だんだん社内にも浸透してきた」と手応えを感じているという。
「まだまだ道半ばではあるものの、流れが変わってきてる。やっと頂上に続く裾野が見えてきたってところかな。これから登っていける。そのスタートラインに立てたなって感覚です」

◇
石田さんの話しぶりは終始冷静だ。でも、その冷静さは、生まれつきの性格だけではないのかもしれない。
借金で家がなくなるかもしれないという恐怖
仕事上の責任感で追い込まれていく父親の姿──
子どもの頃から、そんなぎりぎりの状況を見てきた。だからこそ、どこかで線を引き、どんな物事も客観的に見る感覚が身についたのだという。
「若干、自分のことさえも他人事で見てる部分さえあるんですよね」と明かす。
そしてそれは、経営者としてのあり方にもつながっている。
「社長に向いてるのは、夢を語るロマン派の人だと思っていて。でも僕はそうじゃない。なんでもスペックを見たり、ある意味で打算的な決断をしたりする時がある。そこはやっぱり自分でも弱いところかなって自覚はしてるんですけどね」
でもそんな石田さんだからこそ、理性的・合理的・確実な経営判断ができるのだと思う。
「どこまで行ってもロマンだけじゃ食えないから、参謀は必要で、僕はそっち。だからそういう人(ロマン派)と組めたら一番いいのかもしれないなって思ってます。
今でも妻に『社長しなよ』ってよく言うのは、そこもある。会社を継ぎたいっていう強い思いがもともとあったんだったら、なるべきだって。
足元は僕が固めてあるんだから、って言うんですけど、大変やからって断られる(笑)」
そんなふうに状況を俯瞰して冷静に分析しているところも、石田さんらしい。
「ガンダムに乗る」という個人的な夢も、きっと100%の本心でもありつつ、「経営者はロマンを語るべき」という意識がそうさせている部分もあるのではないだろうか。
そんなところにも、石田さんらしさを感じる。

◼️ この島で、自社が「地に足をつけて」できることから。
淡路島に来て、20年になる石田さん。
「来た当初から、思ったより大きいお店もあるし、コンビニもあった。ド田舎ではない。かと言って、都会でもない。『地方都市』やなって感覚でしたね」
仕事やプライベートで神戸や大阪、東京にもよく出ると言う。
都会に住めば、それはそれで交通手段が豊富だったり、流行のものがすぐに手に入ったりして便利ではあるのかもしれない。
でも、島での暮らしの中には、本当にそれらが自分の人生にとって「常に近くにある必要があるほど」重要なものなのか、あらためて考えるきっかけが散りばめられている。
「移動も関西や四国なら2時間圏内だから、全然苦じゃない。大阪や愛知に住んでいた時は近くになんでもあったけど、意外と行かないなっていうのがわかったから、当初から島で暮らすことに不安はほとんどなかったですね。
島での暮らしは、『ちょうどいい』」
そんな実感があるという。

そんな石田さんが今、会社として目指しているのは、
「自分がいなくても回る組織」。
「社員同士である程度考えて、自発的に仕事を回していけるような、そういう組織・環境を作っていくのが、自分の役割かな」
それも最近やっと形になってきたと感じている。
「最初は壮大な勘違いをしていて。会社って全て一緒だと思ってたんです。大企業も中小零細も組織という括りでは同じだから、大企業でできることは小さい会社でもできると思っていた。
だから最初はみんなに求めることが『大企業あるある』みたいなところがあって、すごく変な顔をされたんです。それで結構失敗したけど、自分の会社をしっかりと見つめていく中で、うちは中小企業なので、この会社が地に足をつけてやっていけることから始めていこうって考え方を変えてから、少しずつ好転してきたかな」
ロマンを語って引っ張っていくタイプではないからこそ、きちんと「自分たち」を見つめ直し、歩調を合わせていくことの大切さに気がついた
そして今、一番力を入れるべきと考えているのが、
「やっぱり人でしょうね」
切り出した業務ごとのプロフェッショナル集団になれれば、組織は勝手に回っていく。
例えば、営業ができる人。ECサイトを構築できる人。データ分析を進められる人。設計図面を整理したり、説明書を作ったりできる人。部品調達のコスト比較を担える人──。
「本当はね、僕、そういう仕事が好きなんですよ」
けれど、自分がそこに注力してしまうと、営業して仕事をとってくる人がいなくなってしまう。
だからこそ仕事を細分化し、1つの案件を「担当者が最初から最後まで全部抱える」やり方から、少しずつ「チームで分担して回していく」形に変えていきたいと考えている。
そうすることで、石田さん自身も本当にやりたい仕事に打ち込むことができ、会社もいい方向に進んでいくのではないか。
そう展望している。
何でも面白がろうとする姿勢。
でも、夢やロマンだけで突っ走るわけではない。
現実と足元と、その先にある理想を見て、できることを1つずつ増やしていく。
石田さんの話を聞いていると、経営とは、勢いだけでも根性だけでも成り立たないのだとあらためて思う。
面白がることと、冷静でいること。その両面を持ち続けること。
その楽しさと難しさを、石田さんは今、淡路島で体現している。

【関連サイトURL】
・石田金型製作所HP
・淡路島ブリッジ
https://awajishima-bridge.jp/company/ishidakanagataseisakujo/
Writer
ぽっぴん
滋賀県出身。
読売新聞で新聞記者として勤務した後、独立して現在はフリーのフォトグラファーでライター。関西を中心に色んな写真を撮ったり、文章を書いたりしています。好きな食べ物は「ばーちゃんの手作りカレー」。
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